おれが英語で話すのが好きなのは
思考と文章をリンクさせやすいから
じゃあその障壁になるのは何かというと
関係性と礼儀なんだよね
つまり日本語ってめんどくさい、ってこと
目上の人に対して
すごく気を使うじゃん
なまじおれはそれがすごく得意だし敏感だからこそ
とても邪魔なんだよね
言語化にとって
ま、仕方ないけどね
でも
気を遣ったテキストコミュニケーションに時間さくのやーめた
ってなってから
比較的思考と文章がリンクしやすくなった気がする
これはどっちかに振ってもだめで
バランスが大事
カナダでの生活が心地よかったのは
こういった言語の影響が大きいと
今でも思う
というか
短期間の関係だったけど
当時の友人たちとの繋がりがまだあるのは
たぶん言葉によって
関係構築プロセスが日本と異なったからなんじゃないかな
と今書いてて思った
本当は
上下関係とか
すっげー面倒くさいんだよね
すっげー大事にしてるけどさ