二神大輝(EIMEI予備校塾長)のブログ

【早く大人になりたい!】子どもたちがそう思える社会をつくることが夢。旅行、料理、写真など趣味についても書いていきます。

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教科指導 ”プロ意識” を持ってやっていますか? 三流のままでもなんとかなる環境に甘えていませんか、というお話

"プロ” の英語講師として誇りを持って仕事をしている

 

だから、日々研鑽は欠かせない

 

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英語を話せる英語講師は一体どれだけいるのか

 

「純ジャパだし…」と努力もせずに言い訳し、現状維持に甘んじている人がどれだけいるのか

 


英語はただの手段なのに

 

勘違いしている人が多い

 

 

TOEICなんて日本と韓国くらいでしか評価基準として使われていないし

 

 

 

990点だけど話せません

なら

500点だけど話せます

の方がまだマシ

 

 

僕は留学で数百万、自己投資をした

 

 

正直、周りは大学生ばかりでただのバケーション感覚で来ている人ばかりで飽き飽きだった

 

 

だから

 

同じく社会人で留学している人

 

留学先での学びをその後にどう活かすか目的を持って来ている日本人、

 

意識も学力レベルも高い韓国、ロシア、メキシコ、ブラジル、サウジの人たちと主に行動していた

 

 

 


結果、取得していたTESOLのコースでは

学校始まって以来初のハイスコアで修了

いわゆる「主席」というやつだ

 


別に、特別なことはしていない

 

朝から夕方までの授業を終え、夜遅くまで図書館とカフェを巡り、毎日勉強した

 

 

ただ、これを続けた「だけ」

 

今だって、毎日欠かさず実践的な日常会話を学んでいる

 

 

 

当時、僕の頭にあったのは

「一流になりたい」

この一点

 

ただの英語講師のままでいたくない

ただ勉強ができるだけでもだめ

 

多くの「経験」や「知識」という財産で

英語を通して学べるその先を見せられる人でありたい

 

 

これは

一講師としてどうありたいか

だけでなく

 

人としてどうありたいか

 

でもある。

 

 

 

いやはや、哲学だ。

 

 

 

daiki-futagami.hatenablog.com

 英語講師としてどうありたいか、こちらも良ければ

 

 

daiki-futagami.hatenablog.com

 英語が話せるようになりたい人はこちら

英語を話せない、海外に行ったこともない、でも勉強だけはできるから教師をやっている、なら辞めたほうがいい

と、思っていた時期がある笑

 

 

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新卒で某大手予備校に就職し、

 

英語教師として小中学生を

 

週に約24クラス+α担当していた

 

求められているのは

 

「英語の成績を上げる」ということ

 

だから、とにかく「成績を上げること」に焦点を当てて、授業をしていた

 

 

 

 


僕は学生時代、そんなに器用な方ではなかった

 

不器用な分、寝る間も惜しんで

 

人の何倍もストイックに量をこなすことで

 

飛躍的に偏差値を上げることができた経験がある

 

 

 


さて、

 

根性論だけで成績は上がるのか?
NO

 

じゃあ、

テクニックを身につけさえすれば必ず成績が上がるのか?
NO

 

 

 


成績を上げるため、クラスによっては

 

たくさん宿題を出したし、

 

授業中怒号を上げて叱りつけたこともあった

 

 

どうやったら出来るようになるか

 

「考えさせる」よりも、

 

「教え込む」こと、

 

そして「徹底させる」こと

 

に注力していた

 

結果、伸びた子もいれば、

 

脱落してしまった子もいた

 

未熟だったな

 

 

 

 

 

 

自分は何のために英語を教えているのか

 

ふと、原点に立ち返る機会があった

 

自分が中学生の時、

 

英語の先生が話してくれた海外の話に惹かれ、

 

「英語を話せること」に強い憧れを抱いた

 

そして、英語を学ぶことで、

 

その先に広がる世界に触れてみたい

 

という高揚感によって突き動かされ、

 

学問の面白さに気がつき、のめり込んだ

 

きっとそれを、

 

未来の生徒たちにも経験させてあげたかった

 

はじめはそういった動機だったと思う

 

 

 

 

 

 

当時の僕は英語を話せない

 

当時の僕はが海外で勉強したことがない

 

当時の僕は教えるのがド下手だった

 

当時の僕は伝えるのがド下手だった

 

いわゆる、ポンコツ

 

 

だから、新卒の6月

 

この1年でしっかり学べるものを学んだ後、

 

会社を辞めて留学をする

 

そう決意した

 

 

 

 

 


目的は、TESOLという英語教授法を通して

 

▼第2言語習得の理論

 

▼英語学習者へのネイティブのアプローチ

 

▼自身の英語力アップ(ライティングとスピーキング)

 

▼欧米圏の授業のあり方や先生としての振る舞い

 

▼英語を話せるようになる「過程」のサンプリング

(ブログに経過報告をストックがある)

 

等を学ぶことだった

 

daiki-futagami.hatenablog.com

 留学を通して学んだことなどのまとめ

 

daiki-futagami.hatenablog.com

最後のTESOLコース

約2年半前、なかなかよいこと書いてる

 

 

 

 

帰国してから数年が経った

 

当時学んできた理論や知識を

 

どうやったら日本流に落とし込めるか

 

試行錯誤を続けている

 

 

 

 

 

最近ようやく、

 

その尻尾が見え始めてきた気がしている

 

それを発信していくことで、

 

日本の英語教育をより良くしていく

 

 

 

まず、第一歩。

 

AO入試を舐めている受験生必見!合格する人がやっている志望動機の作り方

AO入試を舐めている学生は、日本のそこら中にいる

門戸が広くなったと言え、
一般入試より「楽」なわけではない

ただ、求められる力が変わっただけだ

 

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個人的には

良い入試制度だなーと思っている

 

AO入試とはマッチング入試

「志」がない者は受からないからだ。

 

 

大学に入ったら何をしたいか

どの授業を受けて、どの教授のもとで、どのゼミで、何を学びたいか

学んだことを将来にどういかしたいか

 


大学を「機能」としてとらえているか

大事なポイントだ

 

 

入学することが目的になっている人は浅い志望動機しか言えないだろう

突っ込まれても表面的な受け答えしか出来ない


「視野を広げたい」


「将来の可能性のために」

 

「知識を深めたい」

 

正直、どれも中身のない空っぽな言葉たち

いくら表面だけコーティングしても、

何百何千人と人を見てきている面接官は騙せない

 

 


あなたの「過去」

あなたの「現在」

あなたの「未来」

 


これらを一本の線でつないで、言葉を紡げば

自ずと説得力のある志望動機になる

 

例えば、
【過去】水球経験者で足裏の感覚に優れていた

【現在】今はマーケティングに興味がある

【未来】人の動向は足裏の重心移動で読み取れるという仮説から、あたらしいマーケティング手法を生み出したい

そのために、○○大学の○○学部の○○教授のもとで~を学びたい

 

説得力は抜群だろう

 

 

もしそれが出来たら
AO入試は攻略したも同然

ただし、高校生が自分一人でつくるには難しい部分もある

 

ある程度「知識」と指導の「経験」がる先生が必要だ

 

 

つまるところ、うちの塾だね~笑

 

 

合格者のインタビュー動画です

御覧ください

 


EIMEI予備校 2020年度入試 合格者インタビュー

「合理」だけを追求するのは逆説的に「不合理」なのかもしれないけれど、本質的なヒトの不合理を認めることで懐が深くなる。

オバケはいない。

 

透明人間はいない。

 

狼男やフランケンシュタイン、吸血鬼はいない。

 

 

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科学的に考えれば、わかることでも

 

感情によって合理的に考えられないのが人間のいいところだ。

 

 

 

 

 

オバケはいない。

と、わかっていても、夜道を歩いている時に背筋に寒気を感じたり、目をつぶってシャンプーをしてる時に後ろに気配をかんじたりするよね。

 

透明人間はいない。

と、わかっていても、透明人間になれたら何をするか色々妄想する。

 

狼男やフランケンシュタイン、吸血鬼はいない。

と、わかっていても、いるかのようにハロウィンでは仮装をして楽しむね。

 

 

 

 

 

わかっている、という「合理的」な脳みそと

 

とはいえ、、、という「不合理」な脳みそ

 

両方あるから面白い。

 

 

 

 

 

 

世の中には不合理がたくさんある。

 

もし、すべての不合理がなくなるとしたら、

 

まさに人類がいなくなる時だと思う。

 

 

 

 

 

 

僕らが不合理でもやってしまうのは、やっぱり好きなこと

 

好きだから、遠回りでも、短期的な快楽でも、一見意味がなさそうでも、ついついやってしまう。

 

面白いなあ、人間

 

 

 

 

 

 

 

かく言う僕の不合理は、

絵を書いたり、なんてことない動画をみたり、ぼーっとしたり、音楽を聴いたりすること。

 

それが価値を生んでいるかはわからない

 

やらなくても生きていける

 

けど、自分の人生を彩る一角であるのは間違いない

 

 

 

 

 

 

自分の不合理、他人の不合理、人の不合理

 

一つずつ認められるようになると懐が深くなるね

 

 

「当たり前」というハードルと、失う恐怖と、人生において「積み重ねる」ことの行く先

「当たり前」というハードルがある。

 

いつもそれを平然と飛び越えているのだけど、ふとしたきっかけでそれが出来なくなってしまうことがある。

 

すると、「当たり前」を失ったことに絶望してしまうかもしれない。

 

そのハードルが高ければ高いほど、絶望の度合いは大きい。

 

 

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▼イタリアのパレルモにて

 

 

 

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「人生100年時代」の到来。100歳までなにをする?なにができる?人にしかできないことって、なんだろう?

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『LIFE SHIFT』によると、僕らは「人生100時代」を生きているそうだ。

 

医療技術の進歩によって、人が100歳まであたりまえに生きる社会は、もうそんなに遠くない。

 

中学3年生ならあと85年、

 

新卒の大学生ならあと77年、

 

65年で定年を迎えたとしても、あと35年も人生は続くんだよね。

 

 

 

2045年には技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えて、AIの知能が人間の知能を超えると言われている。

 

もはやAIという言葉は中身をともなわず独り歩きしている感じもするけれど笑、今は仕方なく人間がやっている、人間がやらなくてもいいことを、機械やロボットがやってくれるかもしれないと思うと、ワクワクするね。

 

 


昔、洗濯は川でやっていたし、火を炊くにも薪を拾っていた。

 

それが今や、洗濯機があって、ストープがあって、それが当たり前じゃん?

 

 

てことは、未来の自分たちは、機械が代わりに色々やってくれるのを、当たり前と受け入れるんだろうな。

 

 

 

 

そのかわり、もっと価値のあることに力を注げる人にならないと。

 

じゃあ、将来的に求められる力というのはなんだろう?

 

人にしかできないことって、なんだろう?

 

 

 

 

 

 

#シンギュラリティ

#技術的特異点

#LIFESHIFT

#AI

#人生100年時代

英語を話せるようになりたいすべての人へ ~「英語が好きって意味わからない!?」「言語を学ぶことの意味って!?」「英語を話せることは目標?それとも手段?」~

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英語の先生をしているので英語が好きと思われがちだけれど、

英語が好きなわけではない。

 

そもそも「英語が好き」というのは

僕らが「日本語が好き」と言うくらい、

意味のないことだと思う笑

 

 

僕は、英語を通して

知らないことを知ること

に一番興味があるのだ。

 

 

海外の文化、慣習、考え方、など

知的好奇心に動かされて生きている。

 

僕にとって生きるということは

好奇心を満たすこと

に他ならない。

 

 

 

 

つまり、

英語を話せるようになることや、聴けるようになることというのは、ただの手段なのだ。

 

だから、その精度を高める努力を惜しまないし、その過程でも好奇心を満たせるようにしている。

 

 

 

 

=====

 

 

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情熱を傾けること、同じ熱量の人と肩を並べることが好きだ。

大学生の頃、オーケストラ部に所属してた。

 

中学の頃、同級生の音楽一家に憧れていて、なんとく楽器できるっとかっこいいなーと思っていて、気づいたら高校から音楽の世界に足を踏み入れていた。

 

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当時、年2回ある定期演奏会に向けての活動がメイン。

多いときは150人くらい?いたから、やっぱり大人数の組織で1つの目標に向かうは本当に大変笑

 

 

4年間全力でやって感じたこと、そして今も変わらず思っていることは、「熱量」には個人差があって、その多様性を認めるのは大切だが、根本的な方向性が違う場合は自ずと淘汰が起こる、ということだ。

 

大学生なんてみんなやりたいこと違うし、そりゃそうだよね笑

 

 

 

 

 

 

 

で、最近の出来事と、過去の出来事が結びついて、個人的な大発見があった。

 

それは、

 

人は「目的」を見失いがちで、

原因が「私欲」の場合があって、

それに対して僕はめちゃくちゃ腹が立つ

 

ということだ笑

いや、仕方ないんだけどやっぱ腹立つのよ笑

 

 

 

 

 

 

 

例えば、演奏会があるとする。

 

現役の人は一生懸命準備している。

参加するOBOGは同窓会気分。

 

演奏会の目的は「来てくれる人のため」なのに、「身内で楽しむため」という意識を持つ人がいると、全体のベクトルに支障が出る。こういうこと、結構あるよね^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はなにかに「情熱を傾ける」ことが大好きだ。

それが誰かのためになるのであれば尚更ね!

 

 

そして、同じ熱量の人と肩を並べて何かをするのも大好きだ。一人では味わえない感動がそこにあるから!

 

 

共感を求めたり価値観を押し付けることはしない。

けど、一度きりの人生だから、アツく、情熱的に生きたいんだよね。

 

 

 

結果は選択できないが、行動は選択できる。

大学生の頃、よく恋愛相談を受けることが多かった。

 

 

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そんな話はどうでもいいのだけど笑、自分を含め、とにかく人というのは「自分では変えられない物事」に、悩んで、苦しんで、もがいてしまうことがよくある。

 

 

 

感情的な右脳さんが

「わかるよ。うんうん、辛いね。そうだよね。」

と共感をみせる一方、

 

 

論理的な左脳さんが

「事実かわからないことで悩んでも仕方ない!事実確認!!ソースは?データは??根拠はあるの???結局どうしたいの????」

と脳の扉をガンガン叩く。

 

 

 

 

 

 

 

悩んでいる当事者は、どうしたいかも、どうすればいいのかも、わからないから相談しているわけで笑

 

というのはわかる。

 

 

 

 

 

 

 

実は「考える」という行為にもエネルギーを使う。

 

だから、運動しているわけでもないのにやたら疲れる、ということがあるんだ。

 

それは、脳みそが物事に対して「悩む」という頭の運動を通してエネルギーを消費してしまうがために、仕事や勉強、運動など、本来意識を集中させたいところにエネルギーを使えない、という現象が起きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、

考えても自分が変えられないことは考えないようにしましょう笑

 

考えるだけ無駄なので!

 

 

 

 

 

 

「●●くんに、嫌われたくない…」

「△△さん、最近冷たいな…」

「■■くん、どう思っているのかな…」

 

とかね!

恋愛の話に戻った笑

 

 

 

 

 

 

 

さて、

人の感情を自分の思うようにしたいと思ったり、

周りの目を気にしすぎたりすることの一番の弊害は、

 

選べない結果に意識や関心が向きすぎて、行動や計画に意識が向かず、ベストを尽くせないこと。

 

だ!

 

 

 

 

 

 

 

だから、間違っていてもいい、正しくなくてもいい、

 

誰かに怒られても、怒鳴られても、バカにされても、指さされても、陰口を言われても、

 

気にするな!笑

 

 

 

 

結果は二の次、とにかく行動で示そう!

 

「多様性」と「共感」ついて言葉にできないモヤ感

WEEKLY OCHIAIの"多様性をアップデートせよ"の回を見て、衝撃が走った。

 

「共感してもらえる前提」という言葉。

 

無意識に、自分の言葉は誰かに共感してもらえる、理解してもらえる、賛同してもらえるという前提で話をしている。

 

 

 

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多様性とは、「異なる群が存在すること」だ。

 

人類の存続という大きな枠を考えても、様々な種・思想があって、それが時代の中で淘汰を繰り返し、「今」がある。

 

「意味」を求めるこの時代、僕らの目的は存続なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

求められる「共感」には目を向けたい。する/しないは別として。

 

が、こと自分において「共感」を目的にしない。と決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

マルチカルチャーであるバンクーバーで感じた心地よさ。

 

色んな文化が混在する街、人と人との関わりは深くて浅い。

 

うまく言葉にできないのだけど、良い意味で「うちはうち、よそはよそ」だった。

 

 

 

 

 

 

 

無意識に、共感できるコト・モノばかりと自分の脳を繋げてしまう。

 

そうやって、自分でない自分が出来上がる。

 

正解なんてないのだから、「自分はこう」というポジションをとる。たとえそれが他人に共感されなくても良い。知を練って、ポジションを決める。そして、いつだって解体・再構築して良い。

 

 

 

 

 

 

二面性、裏表という言葉もあるが、そもそも一次元的にヒトは測れない。ヒトとは「球」だ。

 

これは、平野啓一郎さんの言う「分人」という考え方に結びついて、ビビッときたなあ。

 

自分の好きな分人の比率を高める生き方が自由であって、そんな多様性を認められる人が増えたら幸福だ。