「当たり前」というハードルがある。
いつもそれを平然と飛び越えているのだけど、ふとしたきっかけでそれが出来なくなってしまうことがある。
すると、「当たり前」を失ったことに絶望してしまうかもしれない。
そのハードルが高ければ高いほど、絶望の度合いは大きい。
▼イタリアのパレルモにて
でも、もとは0から生まれた僕ら。
失うものなんてないんじゃないか。
乙武さんに義足をつけるプロジェクトが今話題である。
捉え方は人それぞれ、賛否両論あるかもしれないけど、
当の本人からすると、
手足がないの「あたり前」だから、ないことは不幸ではないそう。
すごく大切なことに気付かされる。
みな幼い時、目の前にスイッチがあったら押したいものだ
蝶が飛んでいたら追いかけて捕まえたいし
川があったらとびこみたい
音楽が流れたら歌いたい
美味しいご飯はつまみ食いしたい
そういった、「やってみたい」という気持ちと、実際に「やってみた」の積み重ねが今の僕らなのだ。
失敗したってまた積み重ねればいい。
人生は早いもの勝ちではない。
自分のペースで、大事なものを積み重ねて、崩れちゃっても、また積み重ねる。
そうしていつか、積み重ねるという行為が「当たり前」になるかもしれない。