タイトルの通り
SNSを見て
勝手に傷つく人が多過ぎるよなあ
なぜだろう
約5,6年前
メンタリストDaiGoが
ニコニコ動画で
アカデミックな論文の知識をもとに
世の中の出来事の原因を分析し
自論を展開するチャンネルがあった
今でこそ当たり前のように
無料でYouTubeで見られるが
当時はニコニコ動画の回線も遅く
月額500円でプレミアムに登録し
DaiGoのチャンネルにも月額500円を払っていた
それがこの数年かけて
通信インフラが整い
GoogleがYouTubeを買収して見やすさが増し
いよいよ動画時代が始まるとともに
情報の民主化が加速した
発信者が増え
フォロワー数が価値とされる信用経済が生まれ
ホリエモンの多動力のヒットから刺激を受けたビジネスマンがこぞって発信をする
この、society5.0を思わせるような
異なる要因が相互に作用し合いながら
世の中のあり方や価値が加速度的に変容する状況の中で
受信者としての
情報の扱い方に関しては
あまり変化がない
というか、学べない人が多い
例えばインスタ
映えという言葉が日常になってから久しいが
これまではなんの変哲もない日常だったものを
個人が切り取り方を変えることで
きれいで
美しくて
格好良くて
華やかで
煌びやかで
贅沢で
羨ましい対象として発信できるようになった
この発信者の変化に対して
受信者はというと
大抵、何も考えずに目を通す
Twitterであればミュートする単語を決められるが
インスタはそうもいかない
スクリーニングも
フィルタリングも
こういった日常のシーンで行わないと
見なくても良いものを見て
勝手に傷つく
「○○は指定校で決まったから、遊んでるストーリーをあげていてウザい」
いやいや
そいつがウザいのもわかるが
ミュートすればいいだけだろ
見なくていいものを見て関係をこじらすなら
見るべきではない
ただ
一昔前まで
こういうことを言っちゃう人は
学校のようなオフラインの場にとどまっていたが
SNSで繋がっていたら
オンラインでも目に入る
オンラインでも耳に入る
たしかにきついのはわかる
この情報化社会には
見なくていいものが本当にたくさんある
我々はまずそれを理解し
賢く対策を講じるべきだ
臭いものには蓋
という言葉があるが
現代においては
見たくないものはミュート
自分に必要な情報と不要な情報を仕分けする
フィルタリングを行いながら
情報と向き合っていくのがセオリーだ
見たくないものを見ることで自己肯定感が下がるという人は多いが
その実はというと
自分にはないものをもっている人が可視化され
それに対して抱いている嫉妬心が暴走
怒りがわくことで他者を攻撃する
もしくは
惨めさがわくことで自分を痛めつける
そのどちらかであることが多い
皆気付かぬうちに
自分で自分の首を絞めてしまう
なんとまあ
生きづらい世の中になったものだ