28日の週刊文春でゲスの極み乙女。兼indigo la Endのボーカル川谷絵音に新恋人がいることが報道されました。
こちらの記事では未成年飲酒「疑惑」とされているものの
公式サイトが認めている以上事実ということがわかりました。
「今回も懲りずにやってしまった人」として注目を浴びてると思います。僕はゲスの極み乙女。のファンなのでフラットには書けないと思いますが、今回の騒動や先日発表された楽曲についてあれこれ想像を膨らましてみました。
◆新曲『勝手な青春劇』を聴いて
めちゃくちゃいい曲です。毎日聴いてます。ゲスの極みの歌詞は直接的な表現というより、独特な言い回しや言葉、造語が多い印象ですが、今回の「青春劇」もベッキー事件の暗喩だと思っています。
駅前で恋して暮らしてた 過去形にしたい僕は走り書き
いつの間にか大人になって汚い街に体を売った
泳がした純粋な精巧のモデルが本当に
どこかに消えてしまった 青い春を仰いだんだあれもこれも皆きっと作り話だって
とめどなく不思議と積もる安心感
「汚い街に体を売った」 というのは不倫をしてしまったことの暗喩、そして「精巧のモデル」は「成功のモデル」と掛かっているように聴こえました。終わりの二行は作り話かもしれないという世間の声に対する安心感でしょうか。
勝手な青春劇 愚痴をこぼして終わり
僕らの毒は僕らだけじゃないんだから 大丈夫
勝手に青春劇 なんとなく楽しくて
終わりにはしない 僕らだけの時間を
「僕らの毒」「なんとなく楽しくて」がどういうことを指すのか読み取れませんでしたが、最後の一行についてはバンドへの愛でしょうか。以前Twitterでもバンドのメンバーへが大好きという気持ちや、音楽・バンドを辞めないという内容のつぶやきがありました。
indigo la Endとゲスの極み乙女。で何やりたいんだろ俺、とかたまに考えるけど、結局このメンバーと一緒に音楽やりたいんだよなって思った。それだけ。
— enon kawatani (@indigolaEnd) September 18, 2016
メンバーみんな俺についてきてくれてるから俺が良い曲書かなきゃ。今日もメンバーといて大好きだなと思った。バンドやってて良かったよ。
— enon kawatani (@indigolaEnd) September 18, 2016
ここ何年か音楽しかやってないし自分が音楽に飲み込まれそうで怖かった。でも、それでも音楽がやりたくてやってる。1年前と今じゃ音楽の捉え方も違う。これからずっと変わってくと思う。でも音楽は絶対やめない。バンドもやめない。
— enon kawatani (@indigolaEnd) September 18, 2016
優越感を感じ取って言いたい放題受け取って
何も言わず大人になった それが後に分かるから
後悔の会計のお釣りはチップで受け取って
違う形で返して 笑顔で突き返すから
不倫事件に関して直接的な言及は避けてきたと思うのですが、まさにそのことを言っているように感じます。「優越感を感じ取って言いたい放題」の声を「受け取って」、「何も言わず」だった。Mステ出演時、演奏後のおじぎも記憶に新しいかと。
過去の優しさのせいで強くなれないこととか
嘆く間もなく伝う Ahh
大人と大人の熱い感情
他人になれない僕ら歌うよ
この部分はドラムのほないこかとキーボードのちゃんMARIが歌っています。「他人になれない僕ら」がメンバーのことを指しているから彼女らが歌っているのかもしれません。歌詞を書いているのはボーカルですが。
勝手な青春劇 愚痴をこぼして終わり
僕らの毒は僕らだけじゃないんだから 大丈夫
勝手に青春劇 なんとなく楽しくて
終わりにはしない 僕らだけの時間を勝手な青春劇 一つが終わったら
また始まる僕らだけの時間を もう一回灯る眩い結果を抱きしめる
それが出来たらまた始めよう
青い春に惑わされそうな
他の誰かに歌ってます
歌詞引用元:http://www.ryedu.net/ry/riyuyuedu/201610/51887.html
新しく出るアルバムを機に「また始まる僕らだけの時間を もう一回」、そして結果が出たら「また始めよう」と綴り、他の「青い春」、つまり不倫(などの誘惑?)に惑わされないようにと「他の誰か」に伝える形で曲を締めくくっている、というのが僕の考察です。
◆『勝手な青春劇』のPVを見て
柿本ケンサク監督によって撮影された今回のPV、今までのゲスにはないエグい、不気味な、生々しい描写がたくさんあります。インパクト抜群でした。監督のコメントを踏まえ僕なりの考察を書いていこうと思います。
人は、無限の人格をもっています。人は、会話する相手によって常に人格をかえています。出会う人の数だけ人格がある。
では本当の自分はなんなんだろう?
すべてが、本当の自分で、すべてが偽物の自分なのか。
いずれにせよ、わたしという人生の”劇”を精一杯演じているのです。
人生は青春劇の1幕のようなもので、そんな風におもえば、どんなに苦しいことや悲しいことも精一杯、燃え尽きるように演じたい。
だれにも、鑑賞されない、勝手な青春劇を。
楽曲をきいて、そんなことをおもいました。
ひとしれず、そこにあるのは誰でもない視線。
自分がおもうほど、人は自分のことをみていないのに
人は常に誰かの視線を意識していきています。
それは自分の人生の観客でしょうか?
柿本ケンサク監督コメント引用元:http://realsound.jp/2016/09/post-9399.html
鍵穴の先に見える異様な人たちは世間から映るゲスの極み乙女。とベッキー、そして世間の目だと思いました。具体的には、
●腕の包帯をとる金髪の男は当時の川谷絵音を。痛そうな割に傷が浅そうな描写。
●踊る女子高生二人はほないこかとちゃんMARIの蚊帳の外感を。
●シャンパンを開ける幸せそうな男はしてやったりの川谷絵音を。
●テープで縛られるローションまみれの男は世間に醜態を晒される川谷絵音を。
●口紅を塗る川谷絵音は、直接何も言及しない本人を女々しいと思う人たちから見たイメージを。
●裸で胸を隠す外人は、妻がいる川谷に釣られたベッキーを淫乱のように描写している。
●縛られている太った女は世間の評価に縛られ身動きがとれないベッキーを。
●主導師風の老人は蚊帳の外の休日課長を。騒動後も気にせず(?)食べ物のTweetをよくしていたことからコーンフレーク(炭水化物を抜こうとしていることも関係してる?)を食べている。
●ひし形の眼(世間の目)
●ラストのサビ背景の人影は未来の川谷絵音を。ぼやけているのは未来像だから。
です。
深読みしたらキリがありませんが色々な意見や解釈があると思うので、ご意見・ご感想があればコメントしていただけると嬉しいです。。
◆最後に。
今回の文春砲のタイミングって一年前とそっくりで、何か恣意的なものを感じませんか。
ゲスの極み乙女。2ndフルアルバム『両成敗』の発売決定後に不倫が公になりました。その後ベッキーは芸能界から退くことになり、ゲスの極み(というか川谷絵音)はバッシングを受けながらも、一方2つのバンドを率いるボーカルとして活動を続行。メディア出演も増え、順風満帆とは言わないまでも、名前は売れ活躍。これを良しとしない人たちはたくさんいると思います。特に芸能界の事務所、音楽関係の大手レーベルなどが文春などのメディアと繋がって、川谷絵音を全力で潰しにかかっているように思えてなりません。
不倫は絶対的に悪ですが、やっぱり気持ちの部分も大きいので、どこまでいったかも含めどっちが悪いって白黒つけにくいところがあると思うんです。だから今回確実に潰すために法的にアウトな未成年飲酒をレッドカードとして引っ張ってきたんじゃないでしょうか。実際、両バンドは予定されているツアー後は活動休止を発表、残念なことにゲスの極み3rdアルバム『達磨林檎』の発売も中止となってしまいました。大打撃。彼をよく思わない人たちからしたら「してやったり」な訳です。
ここでバンド側にも、報道側にも忘れてほしくないのは、彼らの音楽を求めるファンの気持ちなんですね。私生活で問題ありかもしれませんが、僕は本当にゲスの極み乙女の楽曲が大好きで、インディーズ時代からずっと追いかけてきました。「私生活と作品は切り分けて考えるべき」、というのは難しいかもしれませんが、やっぱりファンとして今回の騒動は色んな意味で残念でした。川谷さんが必ず戻ってくると言っている以上、僕は待ち続けますし、もっと素晴らしい音楽が聴けることを楽しみにしています。