2023年
渋ハロがなくなった
これが後々の日本にとって
大きな選択ミスの日にならないことを願う
というのも
渋谷ハロウィンが世界的にも認知され始め
かつインバウンドの波に乗れそう
というこのタイミングで
禁止になったことは
経済効果の観点から見ても
もったいないと言わざるを得ないからだ
おそらく禁止の背景として
去年韓国の梨泰院で起きた群衆事故のような
大きな事故を避けることを目的としているはずなのだが
このポストにもあるように
渋ハロ含め、行事にかこつけて
「何でもござれ」で好き勝手やる人に合わせて
世の中は規制を余儀なくされるのだ
渋ハロはやるべきだった、やらなくてよかった
に関してはわからない
後になってみないとこの選択の良し悪しは観測できなさそう
ただ
文化というのは大人の力で簡単にねじ伏せられ消える
という一例にならないでほしいことを願う
逆に
池袋や六本木がうまく行政主導でコスプレ大会に昇華して
成功させているのを機に
各自治体が渋谷の人を引っ張り出したら
クリスマスのように
もっと大きなムーブメントや慣習になりうる
ということでまとめ
まず、文化が形成される過程において
ルールになっていないカオス状態ができあがる
ここで
マナー、ルールの範疇を大きく越える横暴が横行すると
それを抑制する強い規制となって
自分たちの首を絞めることになる
これは
集団において各々が自己最適化を図ることで
かえってそれから遠ざかる現象と同じだ
校舎内で起きる現象に置き換えると
どうなるか
自習室が自習室として機能しなくなるのは
勉強の妨げになる人が出ることにあるが
それは突発的には起こらない
じわじわと、空気がそうなる
だからそうならないためにたくさん努力と仕組みを重ねて
今がある
もし
これを壊そうと思うなら
小さな綻びを放置すれば良い
簡単に勉強しづらい環境ができあがる
たとえば
・教材を各自の机で使う、持ち出す
・トイレに長時間こもる
こういう個人のマナー違反、ルール違反がそれにあたる
これが当たり前になると
小さな不満が折り重なって
「じゃあ、自分も好き勝手やる」という人が増え
崩壊する
だから
そうさせないし、見逃さない
先日匿名フォームに送られた問題に対して
すぐフィードバックを行った
これは全体オープンチャット
フォームをみてそっこー送った
この火種は小さくないと踏んでいる
もし
こういうのが増えてしまったら
ルールでガチガチにするしかない
嫌だけどね
のびのびやりたいけど
仕方がないよね
そうならないため
自由を自由たらしめるために
各自の自制心が必要になる
嫌でしょ
トイレは10分いない、とか
そういう規制
くだらない
家以外は公共の場
その分別をつけようよ
って話