幼稚園児の時の夢は「信号機になること」だったそうです。
おばあちゃん子だった僕は母を恐れていたようで、この世で母を止められるのが唯一信号機だけだと疑わなかった、という話を聞きました。
そんな話は置いておいて、夢について少し考えたことがあります。
「あなたの夢は?」
そう聞かれたら何と答えるか。学校の先生、医者、パイロット、サッカー選手、マンガ家、最近ならYoutuberが人気なのかな。おそらく、高校、大学生くらいまでの夢というと「職業名」がそのまま夢になることが多い気がしています。実際、僕もそうでした。信号機に始まり(?)、虫取り博士、サッカー選手、学校の先生、バンドマン、プロ奏者、デザイナー、マンガ家、などなど。
じゃあ、大人になったら夢がなくなるのか。大人になってから、夢を叶えてから、夢はどこへ行ってしまうのでしょう。
夢は変わるもの
幼いころの夢を叶えることがいいとは限らないと思います。もし叶っていたら僕は人間ですらないですから。
高校、大学と進路を進み、関わる人の幅が広がるにつれて知識が身につきますし、価値観も変わる、すると見える世界が広がります。今まで知らなかった世界にわくわくします。そうして夢というのは変わっていくし、それでいいんだと思います。
さて少し話を戻すと、大人になると夢はどこへ行くのか。僕は「現実に食われる」か「膨らむ」のどちらかだと考えています。
夢の行方
「現実に食われる」とは、すなわち安定志向です。
生活のために必要なお金を稼いで、そこそこ贅沢して、程よい頃合いで結婚して、老後は趣味に時間を割いて、みたいな。世界的に見れば、相対的に見れば「幸せ」かも知れません。明日生きられるかわからない人々が暮らす地域が未だに存在する時代ですから。
でも、一度きりの人生。時間は平等です。この平和な日本ですら、明日交通事故に遭うかもしれないし、いきなり病気にかかってなくなることだって珍しくはない。だったら、今ある生命を存分に使ってあげないともったいないな、なんて最近考えます。
ではその逆、「膨らむ」とは、上昇志向。挑戦する人生です。
なりたかった仕事について、その先に目標を作って、そこに向かって生き生き仕事をする。こんな幸せないと思います。
たしかに、生きていくのにはお金が必要です。お金を度外視にはできません。しかし、お金は所詮何かを手に入れるための手段であって、目的であるべきではない。これが僕の考えです。
長い人生の中で一番時間を割くのはほぼ全員が仕事になるのですから、お金のため、生活のためだけに仕事をするのはしんどいなと思います。こんなこと言うと「贅沢だ!」と言われそうですが、やりがいを持って仕事をしたくない人なんてそうそういないし、もししていないのであれば「自分の心の有り様」か「環境」が原因かもしれません。
職業としての夢。それが叶うと次のステージに行きます。仕事を通して何を為すか。世の中のために何ができるか。
人の幸せは三段階あると言われています。
「授かる幸せ」
「できる幸せ」
「与える幸せ」
この内、人が最も幸せを強く感じつのが「与える幸せ」だそうです。しかしこの幸せを得るためには段階を経る必要があります。幼少期に授かった「幸せ」を噛み締め、自分を磨いてできるようになった「幸せ」を実感し、ついに心が成熟し、人のために尽くす「幸せ」を知る。
仕事が好きな人、生き生き取り組んでいる人は全員がこの「与える幸せ」の虜になったからだと思います。
与える人になる
自分一人のために頑張るより、誰かのために頑張る方が力が出る。そんな気がします。
今の仕事を通して、「生徒のため、一緒にはたらく仲間のため、世の中のため」と、自分の力で誰かの役に立とうとするのはとても大変。なぜなら、そこに裏付けされた努力がないと人の役には立てないからです。
「本を読む」「面白い話を考える/ネタを仕入れる」「授業準備をする」、まだまだ数えきれないくらいありますが、教師というのは自分を磨くこと(できる幸せ)が誰かのため(与える幸せ)になる素晴らしい仕事だと思います。そんな職業につき、最高の職場で仕事をできている自分はなんて幸せなことか。毎日この幸せを噛み締めます。
どんな職業であっても、生徒たちには「与える人」になって欲しい。そう思います。
多感な小、中学生のうちに先生たちからの教えという「授かる幸せ」を感じ、向上心を持って文武ともに自らを磨く「できる幸せ」を知り、いざ社会にでてから、その幸せの貯金で誰かを幸せにしてあげて欲しい。高望みではありますが、これが僕の理想です。
来週から春期講習が始まります。最高の授業を生徒たちに。
それでは今日はこの辺で。