この歳になって思うことがある
世の中にはごく稀に
無尽蔵の優しさの器を持っていて
徹底してギブの精神を貫く人がいる
ただ
一見すると、というか特定の側面から見ると
アンチがいたりする
不思議に思って
よーく人を観察する中で
ぼんやり見えてきたものがある
昔は
ただ親切であることが優しさだった
けれど
実はそうではないことがわかってきた
優しくする
ということは
一方で
優しくしないものがある
この
優しくしないものの基準が曖昧だと
本来優しくする必要のないところに
そのエネルギーが分散するのではないか
明確な線引きをしている人は
優しさが無駄に漏れない
管理している
だから広げた器に優しさの水が溜まっていって
然るべきところにそれを分配しているような気がする
息を吸うように
大切な人のために
優しさを使える人たちが
周りにたくさんいる
これは当たり前の環境ではないのだろうなと思う
自分は
今日どれだけの人に優しくあれただろうか