無人島で木が倒れました
さて、音はしたでしょうか
答えは
「していない」
になる
なぜか
理由は、誰も聞いていないからだ
量子力学の面白い考えに
「この世界は、観測されるで存在しない」
というものがある
前回のブログで書いた
自身の存在証明は発信によって行う
といった内容に繋がるが
私がこの世界に存在し、誰かにとって価値ある人であると証明するためには
誰かに「観測」されなくてはいけない
それは、待っていてもやってこないから
自ら言葉をつむぎ
発信しなくてはならない
このブログも、YouTubeも、なんでもそう
私は私がなりたい私であるために発信を続け
観測してもらおうと
人と繋がる努力をしている
数億年の歴史の中のほんの数十年の歴史の一部であるが
生きていることに意味を待たせるとは
こういうことなのではないかと思う
100年後には、200年後には
自分を含めたほとんどの人など忘れ去られているが
それでいい
それでも
儚く光る蛍のように
自分を光らせ、存在を証明し続けることが
人生の醍醐味の一つでもある
そう考えている